なぜ暴力はいけないのか?

去年のオスカーでの出来事。コメディアンのクリス・ロックが、ウィル・スミスの妻の見た目について、侮辱的なジョークを言いました。それを聞いたウィル・スミスは壇上に上がり、クリス・ロックをビンタ。

クリス・ロックは無神経だよね、という意見はあったものの、厳しい非難と処分を受けたのは、ウィル・スミスでした。

 

どんな理由であれ、暴力は許されない。人間社会では、そういうことになっています。

 

 

なぜ暴力はいけないのか?

 

暴力は、問題の解決手段になり得ないからだと思います。

 

もし暴力を良しとすると、

力の強い人が、暴力を使って弱い人を捩じ伏せて、自分の言うことを聞かせることができてしまう。

 

そんなやり方で捩じ伏せられた弱い人は、納得するどころか、ますます不満と怒りを感じてしまう。

 

弱い人が自分の意見を通すには、もっと強い力に頼るしかない。

それは刃物や銃や武器だったり。

 

そうすると次は流血沙汰になったり、死人が出てしまうかもしれません。

だから、暴力の先にあるのは解決ではなく、暴力の連鎖です。問題を悪化させて、破滅しかありません。

 

そんなことにならなかったとしても、力で相手を捩じ伏せることは、決して理想的なゴールではないし、表面的には問題が解決したように見えて、実際は問題を更に大きく、根深くしてしまいます。

戦闘に介入した国が、結局撤退することになったのも、各地でテロが起きるのも、まあそういうことなんだと思います。

 

自国民が傷ついているように、相手の国にも、父親を失って辛い日々を過ごしている子供たちや、息子を失って生きる意味を見失ってしまった母たちがいるはず。

どちらが正しい、間違っているは一旦置いておいて、双方の人々がどれだけ傷ついているのか、暴力がどれだけ醜く馬鹿げたものなのか、それを世界中の人々に知らしめるのが、報道やジャーナリズムの本来の意義なのではと思います。

 

戦争は、多くの国民の納得と支持がないとできません。

 

そのために権力者は、いかに敵対国が悪く、いかに身内が不当に傷つけられいるかを訴えて、軍事の正当性や必然性を主張します。

 

どんなに大義名分が立派で正当性があっても、暴力は決して解決手段にならない。

これを全世界の絶対ルールとして一般市民が認識しない限り、あっという間に世界がまた大戦や冷戦のように二分され、一般市民は権力者の良いように使われてしまうのかなと思います。